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第一巻第一段
時は一条天皇の御代、人材にも恵まれ善政が行われた。
ところがその頃、都近辺で貴賤男女が行方不明となる事件が多発する。暴風や雷雨の中、若い公家や姫君・婦人・少女たちの姿が見えなくなった。さては天魔の仕業かと、社寺も祈祷に専念したが、解決には至らなかった。
すると安倍晴明が「この悪事は、都の西北、大江山に住む鬼王による仕業」と占う。そして「このままでは多くの人々が失われてしまう」と訴えた。
画面冒頭は、内裏の門前。牛車が並び立てられ、牛飼童や下役の者たちが休んでいる。事件への対応に、公卿たちが朝廷に参集したのである。
楼門をくぐると、上方では、朱塗りの戸を開き現れた束帯姿の人物に、右から狩衣姿の男が文杖で手紙を差し出す。安倍晴明からの知らせが届けられたのだ。
その下、狩衣姿の男たちに続いて中門を抜けると、文杖を受け取った白衣の僧が、手紙を知らせに御殿へ向かう。清涼殿では、参内した公卿たちが庇の間に居並んでいる。御簾の内への天皇のお出ましを待って、事態打開の論議を始めようとするところ。
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第一巻第二段
対策を協議した公卿たちは「有力な武将たちを召して、鬼王を成敗させよう」とした。しかし何れも「天魔や鬼神を相手の合戦では力が及ばない」と辞退した。
時に中納言であった閑院の実見は「たとえ変化のものであっても、この国におるからには、天皇のご意思に従わないでよいものか」と述べ「源頼光 ・ 藤原保昌の二人を追討の武将に」と挙げた。諸卿も賛成し、二人を召し出す。
画面冒頭は中門の辺り。勇者たちの姿を一目見ようと、男たちは門内へと向かい、女たちは廊に入ろうとする。門の内には、人々の闖入を制する白衣の下役。また左方の門でも、緑衣の下役が乱入者を追い返している。
進んで清涼殿の前庭、階の下、頼光・保昌の二人が畏まって対座する。各々、鎧を着て太刀をはき矢を背負い、兜を携えた家臣を後ろに控えさす。殿上では、公卿たちが笏を立てて威儀を正し、いよいよ鬼王征伐の勅命が下される様子。「天下の大事、これに過ぎるものはない。武勇の志を励まして、速やかに凶徒を鎮圧せよ」と大命が発せられた。
頼光・保昌は一先ず宿所に戻り、別れを惜しむ妻や子を後に、思い思いに出で立った。
画面後半、門の外では、出陣する頼光・保昌一行の盛儀を描く。轡を並べて進む葦毛・白毛の馬上には、両将の凛々しい姿。後に続く五騎には、ものものしく武装した強者たち。大路の沿道には見物の牛車が林立し、老若男女が道端を埋めて壮行を讃えた。
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第一巻第三段
頼むところは神仏と、頼光は石清水八幡宮・日吉大社に、保昌は熊野神社・住吉大社に戦勝を祈願した。
画面は先ず、日吉大社の本宮。右方に本殿、中央に拝殿。本殿の上方では、樹上に神猿が遊ぶ。本殿前には御幣を抱えた神官や武士たちが集まり、拝殿で舞い踊る童に興じる。つのる思いの一同を慰撫する趣向か。緑の狩衣を着た頼光も、童の狂態を注視する。左方の前庭では、藺笠に水干の衣装の田楽法師たちが、笛や腰鼓・びんざさらで囃し立てている。
二図目は住吉大社の境内。右方に板葺きの本殿、中央に幣殿、曲がりくねった磯馴松が取り囲む。幣殿で語らうのは保昌と従者か、右方、玉砂利の上から神官が祓いの御幣を差し込む。左方、前庭には武士たちが控える。浜辺に立つ鳥居には、たゆたう海波が近くまで打ち寄せ、汀の曲線を描き出す。
さて出立に当たっては、近国の武士数万騎を両将に加勢させようとしたが、頼光は「敵を討つに、大人数は必要ない」と断った。そして、頼光は渡辺綱 ・ 坂田公時 ・ 碓井貞光 ・ 卜部季武の四人、保昌は清原致信一人を伴い、追討に向かった。残りの武士たちは都の外まで供をして、一行を送り出した。
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第一巻第四段
都を出た頼光の一行は、大江山へと丹波路に入る。頼光は「敵を平らげるまで、都へは戻らない」と意を決し、保昌も同じ心。画面右下、一行の姿が岩間隠れに見え、山道の険しさを思わせる。沿道の樹木には白雪が掛かり、時節の厳しさを表す。
画面中央、とある山のほこらに差し掛かると、老翁・山伏・老僧・若僧の怪しい四人が、種々の飲食を用意して誰かを待つ様子。一同は「変化のものか」と身構えた。頼光は弓を引こうとし、保昌も太刀の束に手をかけて前を見据える。
その時、老翁が上衣を脱いで手を合わせ、無抵抗を示して進み出た。「怪しい者ではありません、あなた方をお待ちしていたのです。私は鬼王に七人の子どもを捕られました。この山伏は同行者を、そしてあの若僧は師匠を奪われました」と歎き「両将の御供となって鬼が城に向かいたい」と望んだ。
頼光は「我らは勅命を受けた身、何を恐れることもない」と四人への警戒を解く。そして「用意の酒飯をいただき、鬼が城へ到る力としよう」と一同に声を掛けた。すると老翁が「その出で立ちで、鬼が城を尋ねるのは難しい。身なりを変えなさい」と言う。そして櫃の中から山伏の装束と九丁の笈を取り出した。
画面左上では、姿を変えた一行が奥山へと分け入る。頼光と老翁との二人が桧杖をついて先導し、他の者は甲冑や酒飯を入れた笈を背負っている。
乗ってきた馬は、従者たちに任せ、ここから故郷に帰した。
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第一巻第五段
一行は山深くへと進み、途中の岩穴をも通り抜けると、やがて渓流のほとりに出た。そこで血のついた衣類を洗濯している老女に出会う。
画面では、対岸に立つ異形の老女を、頼光や老翁が指さしている。胸元の乳房も露わに、木葉の腰巻のみをまとう姿。左手で木の枝につかまり、右手で長柄杓に川の水を汲んで、足踏み洗濯に従事している。樹上に干された衣類にも、未だ血糊の痕が残る。
一行の者は老女を怪しみ「変化のものに違いない」と勇み立った。
老女は手を合わせ「私は鬼神や変化のものではありません。もとは生田の里の賤女でした。鬼王にさらわれたものの『筋骨が固い』と嫌われて捨てられ、以来、洗濯女として使われているのです。既に二百余年の歳月が流れました」と語る。
また老女は「貴方たちは何でこんな場所に来たのですか。すぐ帰りなさい。ここは遥かに人里を離れた場所です。しかも皆さんは壮年の方々ばかり、なんとも悲しいことです」と言う。
頼光が「遥かに人里離れたとはどういうことか」と問うと、老女は「貴方たちが越えた、岩穴よりこちらを『鬼隠しの里』と呼ぶのです」と答える。
さらに頼光は、勅命の旨を伝え、鬼が城の様子を老女に尋ねた。老女は「鬼王の城は、この上です。八足の門に『酒天童子』の額が掛かっています。鬼王は仮姿で童子に変じていながら、お酒が大好きなのです。そして、都の公家・姫君・夫人など貴賤上下を連れ去り、料理して食い物にしています。ところが陰陽師の安倍晴明が式神を用いて守護し、人をさらえずに都から帰った時には、なんとも腹にすえかねて、胸を叩き、歯を食いしばって、眼を怒らしています。けれども穏やかな折には、笛を吹いて遊んでいることもあります」と詳しく伝えた。
また「鬼王は、藤原道長の幼い子どもを連れ去り、鉄石の牢屋に押し込めました。ところが、その子が余念なく法華経を唱えて、その声が下まで聞こえて来るので、私もしばし救われる思いになります。さらに道長の師匠、天台座主慈恵の修法で、諸天善神がその子を守りに集まって来るので、鬼王も持て余しているようです」と語った。
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第一巻第六段
老女の言葉に従って少し登ると、遂に酒天童子の館に着いた。画面右方では、青瓦を載せ朱塗りの柱が目映い立派な門の前に、一行が集結している。豪壮な屋敷のようである。
頼光は、渡辺綱を呼び、門内に入って案内を乞うよう命じた。
画面左方、寝殿の前に一人進んだ綱が「もの申さん」と声を上げる。すると「何者ぞ」との気高い声とともに、簾を掻き上げ笛を片手に現れたのは、身の丈三メートルほどの大童子であった。
綱は「諸国修行の途中、道に迷った山伏一行に、一夜の宿を貸してください」と頼む。童子は「それなら門脇の回廊にお入りなさい」と応じた。そして一人の女房に綱を案内させた。
場面は画面中央、女房に案内されて綱が門の方へ戻るところ。するとその女房がさめざめと泣き出した。綱が訳を尋ねると、女房は「修行者の方とお見受けしますが、ここに来られては生きて帰ることは出来ません。それが悲しいのです。私は、土御門の内府、宗成の娘です。去年の秋に誘拐されました。童子は少しでも気に入らない者を『果物』と呼んで、その場で食べてしまいます。目にするのも恐ろしい。今日こそ自分がそうなるかと辛い限りです」と嘆いた。
綱は「大変なことを聞いた」とは思ったが、先ずは落ち着いた素振りで、画面中央上段の通り、門脇の回廊に一行を連れ入れることに成功した。
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第一巻第七段
この後、麗しい女房たちが、銀の瓶子に酒を入れ、金の鉢に何の肉やら山盛りにして持ってきた。頼光・保昌は「もし御亭主にお出でいただけたなら、なおさら嬉しいのですが」と酒天童子との対面を希望した。
しばらくして、童子が姿を見せる。身の丈は三メートルほど、色柄の小袖に白袴、落ち付いた香色の水干を着て、眼差しや言葉づかいは知恵深げである。美しい女房たち四・五人を侍らせ、大そう気高く見えた。
童子は「何処へ行こうとされたのですか」と頼光に尋ねた。頼光は「諸国一見にと出かけたのですが、道に迷ってこちらに着てしまいました」と答える。
童子は「私はなにしろお酒が好きなもので、手下の者たちから『酒天童子』と呼ばれています」と身の上を語り始める。続けて「昔は平野山を代々の領地としていましたが、伝教大師がその山を選ばれ『峰に根本中堂を建て、麓で七つの神社を崇めよう』とされたのです。かねてよりその地に居た私は納得できず、楠木に変身して何かと妨げを為しました。すると奇妙に思われた大師は、真言を唱えて結界を封じられたのです。私も力及ばず姿を現して『それならば代わりの居所をお与えください』と願いました。そこで大師が領地としていた『近江国かが山』に住み替えたのです。ところが、そこも桓武天皇の勅使に追い出されてしまいました。私は寄る辺を無くした悔しさから、しばらくは風雲に乗って浮かれていましたが、時々恨みを募らせて大風・旱魃を起こし、国中に悪事を為して我が心を慰めました。そして仁明天皇の御代の頃から、大江山に住み始めたのです。実のところ、こうした賢王の時代こそ私達の力も強まるのです」と語った。
童子は「昔話はさておき、先ずは一献」と盃を勧める。頼光が「稚児でもある童子からお先に」と言うと、童子は「お言葉に甘えて」と三盃を飲み干した。頼光も童子が注いだ盃を受け、何とも生臭いと思いつつも静かに飲む。次に保昌に注いだが、保昌は飲むふりをして捨てた。画面では、一際大きな童子と頼光との二人が、各々盃を胸前に持ち上げて向かい合う。頼光が手にした扇の先を童子に向ける仕種から、何かを語り合っている様子。
そして老翁が「私どもには『山臥の死筒』という銘酒が有ります」と切り出した。これを笈の中から取り出し、童子に勧めて次々と飲ませた。
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第一巻第八段
その後まもなく、黒雲が立ちこめて辺りは闇夜のようになった。血生臭い風が吹き荒れて、雷鳴がとどろく。「これはどうしたことだ」と一同が見ていると、多数の変化のものどもが、田楽法師の一団となって通ってゆく。
画面左方から変化のものたちが現れる。色取り取りの装束に着飾るものの、笠や冠の下に怪異な風貌が覗き見える。一本足の木馬に乗るものを中心に、右では鼓・腰鼓・びんざさらを打ち鳴らして踊り興じ、左では笛の音に合わせて玉と小刀とを投げ上げ手玉取る。
画面右方、回廊から模様を眺める頼光たちは、何の余興かといぶかしがっている。
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第一巻第九段
続いて変化のものたちは、顔や形も様々に仮装して練り物行列を演じた。
画面左方から進む一隊の先頭は、舞楽の散手破陣楽の仮装か、鼻高黒髭の面に鳥甲を被り、毛縁の裲襠装束を着け、鉾を持つ。二番手は、朱地に金輪を配した軍扇を高くかざす。お次は、蓬髪巨頭の生白い顔、手に御幣・榊を捧げ持つが、身には毛皮をまとう怪しげな出で立ち。
続くは、田楽囃子に興じる一団。擦りささらを手に踊り狂うものに始まり、鼓・笛・腰鼓を奏でながら、般若や迦楼羅に扮し、獅噛を被るものも見える。
画面右方の回廊では、一行が取り取りに行列を眺めている。左端の頼光は、居ずまいを正して変化のものどもをじっと見据えた。すると、頼光の眼の底から五色の光が出た。
変化のものたちは「あの眼の光、厳つい表情は常人ではないぞ。近頃、都で有名な源頼光に間違いない。それでは到底、我らが欺ける相手でない」と慌てていっせいに逃げ去った。