[2-1]

日暮れを待つ程に、手下の鬼たちは「一行の者たちをだまそう」と計略する。そして美麗(びれい)な女房に化け、頼光(よりみつ)らの前に現れて様々に(しな)を作った。画面右方、一行がいる回廊に、装束(しょうぞく)を着飾った五人の女性が上がり込んでいる。

そこで保昌(やすまさ)が「修行者ばかりが居る所に、女房たちが訪れるとはどういうつもりだ。さっさと出て行け」と声を荒げる。ところが、女房どもは一向に聞き入れる様子が無い。

一方、頼光が女房たちをじっと(にら)みつけると、女房どもは次第にそわそわとし始め、(ようや)くその場を退いていった。

そして「この山伏は(ゆえ)有る人に違いない。眼差しの鋭さにはとても耐えられない」と言い、それぞれ正体を現しては、走って逃げ去った。画面左方では、恐れをなして一目散に駆け出す、鬼たちの慌てふためいた様子が描かれる。

[2-2]

頼光(よりみつ)保昌(やすまさ)は老翁とともに、鬼が城内を偵察する。この時、老翁は、神通力の蓑帽子(みのぼうし)で頼光・保昌の姿を見えなくした。

画面右方の建物では、様々な姿の鬼どもが休んでいる。石段を上がった頼光ら三人は淡い色彩で描かれ、鬼たちから見えない姿に表される。

続いて三人は左方の牢屋に近寄った。格子の中には老若男女が押し込められている。

また、静かに経を唱える声が聞こえてくる。「誰だろう」と声する方を見ると、さらに左手、女房たちの奥に十四・五歳の少年がいた。品の良い小袖に白の大口袴(おおぐちばかま)を着け、経机(きょうづくえ)に向かって法華経(ほけきょう)読誦(どくじゅ)している。

少年がいる牢の軒先辺り十羅刹女(じゅうらせつにょ)十二神将(じゅうにしんしょう)と火炎を背負った猿とが、それぞれ雲に乗っている姿が見えた。頼光が「これらは一体何なのでしょう」と尋ねると、老翁は「法華経を唱える功徳(くどく)で十羅刹女が来臨し、少年の師匠が行う七仏薬師法(しちぶつやくしほう)で十二神将が守っています。そして日吉(ひえ)の祭神が、不動明王また使者の猿となって側に居るのです」と答えた。この少年こそが、洗濯の老女が語った、道長(みちなが)の子であったのだ。

老翁の才知に触れて、頼光は気が付いた。「この翁は、日頃から願いをかけている神様が、姿を変えて現れておられるのだ」と喜び、保昌とうなづき合った。

[2-3]

頼光(よりみつ)らは、他の建物も見て廻る。城内は四季の風情に配されていた。画面冒頭の一室では鬼たちが、腕を広げて伸びをし、肘枕で横になるなど、緩慢(かんまん)な様子。東方として、春の陽気を示すものか。

続いて南方、花香る初夏の場景というが、しかし庭に据えたいくつもの大桶(おおおけ)には、人肉を鮨にして漬けてある。血生臭い空気が漂い、惨状は眼を覆うばかり。傍らには古いもの新しいもの、無数の死骸が捨て置かれる。

左手の牢屋は西方、蕭条(しょうじょう)とした秋の気配。ここには唐人(とうじん)たちが幽閉され、格子の向こうで悲しみに暮れる。「日本だけでなく、外国の人までもが捕り置かれているとは」と頼光らは憐れんだ。

その隣室は北方、寒々とした冬の最中。そこには多くの鬼たちや変化(へんげ)のものどもが、時のうつろいを持て余していた。

前段同様、頼光ら三人は淡い色彩で描かれる。蓑帽子(みのぼうし)のお蔭で、鬼たちに知られず偵察を終えた。そして元の回廊に戻り、従者たちに目にした有り様を語り伝えた。

[2-4]詞無し

頼光ら一行は、山伏の衣装を脱ぎ捨て、武具甲冑(かっちゅう)に身を固めた。いよいよ酒天童子(しゅてんどうじ)征伐の幕が切って落とされる。先ずは鬼どもの居所に戦端が開かれた。

武将たちは、油断している鬼たちを奇襲した。画面では、振り下ろす太刀に手足を分断され、鬼どもは逆さまになって倒れ込む。斬り落とされた鬼の首が、ごろりと転げ落ちる。すっぱり切られた首根からは、真っ赤な血しぶきが勢いよく吹き出す。胴体のみがのたうち回り、辺り一面に血の海を広げた。

さらに、飛び去るように逃げ出す鬼たちを、白刃(しらは)を振りかざして追いかけた。

[2-5]

酒天童子(しゅてんどうじ)は、鉄石(てっせき)で護り固めた部屋を造り、居室としていた。その中で、女房たちに「腕をさすれ」などと命じて寝ている。

頼光(よりみつ)らが見るに、居室の戸はどうにも開きそうにない。そこで、老僧・若僧の二人が「年来の修行の成果を今こそ」と(いん)を結んで祈ると、その念力で、固く閉ざされた鉄石が消え、寝所(しんじょ)の護りは一瞬にして打ち破られた。

画面冒頭では、鬼王の寝所が露わになり、周りにはバラバラに破られた鉄石の破片が散乱。

寝所の様子を窺うと、昼間の童子姿と打って変わり、夜は本体を現した巨大な鬼王が、夜具(やぐ)を掛けて横たわる。体長は十五メートル、頭と体は赤、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青の五色に分かれる。眼は十五、角が五本という奇怪な姿。そして女房たちが泣きながら、足腰に取り付いている。

武将たちは心を落ち着かせ「さあ討とう」と勇み立つ。そこに若僧が意見した。「この大きな鬼王を、その太刀で間違いなく斬り倒せるか判りません。もし起き上がってきたら大変です。私たち四人で鬼王を押さえつけますので、皆さん心を合わせて頭を打ち取ってください」と教えた。「まさにその通り」と、老翁・山伏・老僧・若僧の四人が、鬼王の手足を押さえ込む。

鬼王は首ばかりを持ち上げ「麒麟無極(きりんむごく)よ、邪見極大(じゃけんごくだい)よ、敵を討て」と手下の鬼どもに叫んだ。すると、既に首を切られた鬼たちが起き上がって走り合い、手を広げて踊り回った。

その時、両将と五人の強者(つわもの)が、いっせいに鬼王に打ち掛かる。画面中央では、地べたに引き据えられた鬼王が、なおも口から火を吐いている。頼光らが首を目がけて太刀を振り下ろすと、鮮血が滝のように流れ出た。

その左では、手下の鬼どもが首も無く逃げ惑う。武将たちが追いかけて太刀でとどめを刺すと、血潮の中に倒れ伏した。

一方、鬼王の首は天高く飛び上がり、叫び回った。頼光は急いで(つな)公時(きんとき)二人の(かぶと)を取り、自分の兜に重ねた。他の者たちが「どうなさるのか」と見る内に、鬼王の首は舞い落ちて、頼光の兜に喰らい付いた。すかさず頼光が「目玉をえぐれ」と命じ、綱と公時とが刀で両目をえぐると、鬼王の首は息絶えた。画面の終わり、鬼王の大きな首が頼光の上にのしかかり、兜に噛みつく。その左右から綱と公時とが、鬼王の目玉に刀を突き立てている。

その後、兜を脱いで見れば、重ねた兜二つが鬼王に喰い通されてあった。

[2-6]

画面右方では、鬼どもの死骸を焼き払っている。(まき)を積み上げ、放たれた火は黒煙を上げて燃え盛った。合間から、鬼たちの顔や手足が覗いて見える。武将たちは抜き身の刃を手にしたまま、なおも警戒を怠らず、火炎の渦を見守った。

そして画面中央では、牢屋に籠められていた老若男女・唐人(とうじん)たちが、共に解放されて、山を下りようと歩を進める。その左手では、鬼王を討った証に首を都に持ち帰ろうと、板輿(いたごし)に載せて六人掛かりで運んでいく。鬼王の真っ赤な頭・白い角・眼を見開いた形相(ぎょうそう)は、今だに禍々(まがまが)しい毒気に満ちている。首の下に敷かれた青白いものは、清めの塩か。一隊の後ろから、頼光が十分用心するよう注意している。

画面左方の山道には、あの洗濯の老女が倒れ伏す。老女は、酒天童子(しゅてんどうじ)による(とら)われから離れ、故郷に帰ろうと悦び歩み出でた。ところが、今までは鬼王の魔力によってこそ、あり得ない長寿を与えられていた。しかし鬼王が討たれたことで、その力も失せ、山を下りる道の中途で息絶えてしまった。武将たちはこの老女を哀れんで、その場にぬかづき、落涙する目頭を押さえた。

[2-7]

頼光ら一行は、大江山の元の道へと戻った。画面では、道中で車座になって語り合う様子。すると、老翁ら四人が口を開いた。「勅命を受けての征伐ですから、必ず討ち取られることと存じておりましたが、何しろ一大事でしたので、私たちもお供をいたしました。今はこれにてお(いとま)申し上げます」と言う。さらに続けて老翁は「一条天皇は弥勒菩薩(みろくぼさつ)安倍晴明(あべのせいめい)龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)が、それぞれ現れられたお方です。そして、源頼光(みなもとのよりみつ)大威徳天(だいいとくてん)渡辺綱(わたなべのつな)多聞天(たもんてん)坂田公時(さかたのきんとき)持国天(じこくてん)碓井貞光(うすいさだみつ)増長天(ぞうちょうてん)卜部季武(うらべのすえたけ)広目天(こうもくてん)でいらっしゃいます。疑ってはいけません」と武将たちを讃えた。

そこで保昌(やすまさ)が「お名残惜しいことですが、後々の思い出の印に」と願い出て、頼光・保昌と老翁らとで形見(かたみ)を取り交わす。老翁は白い浄衣(じょうえ)を保昌に与え、保昌は矢の(かぶら)を贈る。山伏は柿色(かきいろ)の衣を保昌に与え、保昌は太刀を贈る。これを見た老僧は「頼光様、形見の交換を」と申し出て、水晶の念珠(ねんじゅ)を与え、頼光は(かぶと)を贈る。若僧は金の錫杖(しゃくじょう)を頼光に与え、頼光は腰の刀を贈った。画面にも、衣服や武具を取り交わす様が描かれる。

そして頼光が「皆様は御名前を何と仰るのですか。どちらにお住まいですか」と尋ねた。老翁は「住吉大社辺の年寄りです」、山伏は「熊野・那智辺に居る雲滝(うんろう)と申します」、老僧は「石清水八幡宮辺の僧侶です」、若僧は「延暦寺辺に住む法師です」と次々答えては、何れも掻き消すように姿が見えなくなった。頼光らは「なんとこの方たちは、日頃願いを掛けてきた神仏が現れて、我等を守っておられたのだ」と、いよいよ有り難く感じ入った。

[2-8]

大江山を出た頼光(よりみつ)保昌(やすまさ)ら七人と解放された人々は、(ふもと)生野(いくの)に仮小屋を造り留まっていた。そこで碓井貞光(うすいさだみつ)を使いに、迎えの人馬を寄こすよう都に知らせる。すると親類・縁者らが急ぎやって来て、人々を出迎えた。感激の内に再会を果たす者、不在を知って悲嘆する者、それぞれに家路に着く。

頼光・保昌は、山伏姿の上に(よろい)を着たまま、都へと戻る。両将が鬼王の首を持ち帰ると聞いて、武士たちが次々に馳せ参じ、一行は大軍となった。沿道には見物する者たちが押しかけ、高貴な方々の牛車(ぎっしゃ)も立ち並ぶ。「魔王や鬼神を従えたとは、高名な武人、坂上田村丸(さかのうえのたむらまる)藤原利仁(ふじわらのとしひと)より外に無かったことだ」と口々に称え合った。

都では「毒鬼を内裏に入れてはならない」として、鬼王の首は京の大路(おおじ)を渡すことになる。天皇・上皇以下、公卿(くぎょう)たちも牛車を走らせて見物に向かった。画面は、馬上の武将たちの隊列が威風堂々と行進する、凱旋の光景。画面の上下、大路の道端には牛車が詰め寄せ、居並んだ老若男女がさざめき合っている。画面中央では、頼光・保昌が駒をそろえ、金の鍬形(くわがた)(かぶと)が隣り合う。その左方では板輿(いたごし)に載せられた鬼王の首が静々(しずしず)と運ばれていく。人々は、醜悪な鬼王の首に目を見はり、頼光・保昌らの偉容に感激した。その不思議の有り様に、鬼王の首は宇治の宝蔵(ほうぞう)に収めることと命じられた。

この後、藤原道長(ふじわらのみちなが)参内(さんだい)し「未だかつて無い働き振りでした。早速に二人の功績を顕彰してくださいますよう」と進言した。そこで、源頼光は東夷大将軍(とういたいしょうぐん)として陸奥国を、藤原保昌は西夷大将軍(せいいたいしょうぐん)として筑前国を賜ることとなった。「何とも大きなご褒美だが、これに反対する者はおるまい」と人々は口にした。

[2-9]

この後、頼光(よりみつ)は「今回、名を上げられたのも、神仏のご加護のお陰」と石清水八幡宮にお礼参りをした。

画面は、石清水八幡宮の本社。左方に本殿、中央に幣殿(へいでん)を表す。幣殿では上畳(あげだたみ)狩衣(かりぎぬ)姿の頼光と社僧(しゃそう)とが対座する。すると「神殿の中にこれが有ったのです」と取り出した(かぶと)が頼光の前に置かれた。当にこれこそ頼光が(かぶ)っていた、竜頭(りゅうず)鍬形(くわがた)が金色目映(まばゆ)緋縅(ひおどし)の兜。そこで頼光も、懐から水晶の念珠(ねんじゅ)を取り出して見せる。目にした社僧は「これは神像が持っておられた念珠に違いない」と声を上げた。頼光は、鬼王退治の後で老僧と形見(かたみ)を取り交わしたことを告げた。これを聞いた参集の人々は、感激に涙を流す。念珠は大事の物として神殿に納められた。

画面右方でも、大勢の武士たちがこの有り様に目を見はる。代々氏神として(あが)めてきたからこその果報とはいえ、不思議な出来事を目の当たりに、身の毛もよだつ思いであった。

[2-10]

解放された唐人(とうじん)たちも喜びを語った。「魔界に連れ去られ、妻や子が恋しくて魂が消える想いでした。両将のお助けで害から逃れられ、今は嬉しい限りです。願わくは、お恵みによって私たちを本国へ帰してください。ことの顛末(てんまつ)を知らせて、神仏の威徳を示し、両将の武勇を異国に伝えたい」と。この願いに「もっともなことだ。九州に下らせて順風(じゅんぷう)を待たせるのがよい」と帰国を計らった。

画面は浪速(なにわ)神崎(かんざき)(みなと)。唐人たちを載せた船が、筑紫の博多に向け出帆(しゅっぱん)する。浜辺で見送る人々が、()ぎ出した船を指差し談笑する。今当に大きな帆を上げて沖へ進むのは、屋形(やかた)を備えた大型の船。冠を頂くのが唐人で、烏帽子(えぼし)を着けるのは博多まで送り届ける日本人か。一艘の小舟が水先案内し、本船の船尾では筋骨(きんこつ)たくましい水夫たちが(かい)を握る。どこまでも続く青波が、世に太平が戻ったさまを暗示している。